『幻覚見えるくん』も、途方もない時を生きてきたんだね……。
※この記事は週刊少年チャンピオンで連載中の漫画『吸血鬼すぐ死ぬ』(著:盆ノ木至)の考察記事であり当該作のネタバレを多分に含みます。
※最新コミックスまでの内容の他、最新本誌内容、単行本未収録情報、原作者・公式アカウントツイッターで過去発信された情報に触れる可能性があります。ご注意ください。
繋がり
『誰でも幻覚見えるくん』は、100年以上咲き続けているらしい。
これは週刊少年チャンピオン2022年35号にて掲載された『巻頭カラー舞台裏ショートストーリー ~蕣なぜ来たる~』で判明した事だ。(2023年7月現在単行本未収録)
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— 「吸血鬼すぐ死ぬ」公式 (@johnwakawaii) 2022年7月27日
そのショートストーリーによると『誰でも幻覚見えるくん』は、19世紀の吸血鬼退治人アルミニウス・ヴァン・ヘルシング氏の退治対象だった。
ショートストーリー冒頭は上記告知ツイートでも確認できるが、退治依頼元の地域には「幻惑の森」という伝承があったのだ。その元凶が「幻覚を見せる吸血鬼」……つまり『誰でも幻覚見えるくん』だったというわけである。
これは催眠能力を有する吸血植物を無害化したもので
━『吸血鬼すぐ死ぬ 13』149死
『誰でも幻覚見えるくん』が元は吸血植物であったことはドラルクも触れていたが、「100年以上前の退治人(89死ロナルド談)」であるヘルシングさんの活動時期に既に「伝承」になる程度には生育していたとは…。
季節が過ぎれば散りゆく花という儚さからは、全くかけ離れた長命さだ。
しかも、それほど長く生育しているのにも関わらず……『幻覚見えるくん』の花は、伝承の森に一本きりしか生えていなかった。
とりあえずここでメモだけとるシング。放出する花粉状の物質が幻覚作用を持ち、繁殖力はおそらく低く…、
━週刊少年チャンピオン2022年35号『巻頭カラー舞台裏ショートストーリー ~蕣なぜ来たる~』
ヘルシングさんはこの事実から「繁殖力はおそらく低く」と分析した。
植物の繁殖というと、受粉し種子を実らせ地に落とし、新たに芽生えさせるサイクルのことだが……。まあ確かに「花粉状の幻覚物質」の生産器官がおしべにあたる箇所ならば、繁殖のための「花粉」の変わりに幻覚物質を出していることになろう。
幻覚能力は吸血の為に獲物を引き寄せる罠。なら、吸血して枯れずに生き続けるかわり、種を実らせることができなくなったのかもしれない。
実らないまま、枯れずに咲き続ける花、か……。
なんだか聞いたことがある気がする……。
♪想いは実らなくても
♪愛の花は枯れない
━『吸血鬼すぐ死ぬ 24』300死
これだ。
300死で失恋したオスクルムにキッスが「一夜の夢」を見せた時、歌詞風の演出で出てきたフレーズ。
「街キッスだらけ大事件」で、「300話なのにキッスで続くのー!!?」という299死のオチから引き続きキッスキッスで始終キッスだった300死だが……
そういえば『巻頭カラー舞台裏ショートストーリー ~蕣なぜ来たる~』は300話という区切りを記念した書き下ろしであった。
そうか、繋がっていたのだな…。
いや、まあ。300死記念で計画的に同時掲載された2つのエピソード、何かしら通じている方が自然ではある。御真祖様のノスタルジックに比べてちょっと本編がキッスすぎて、撹乱されてしまったが。
「実らぬ想い」とか。「枯れない愛」とか。
確かに通じている。そういう目で、改めてみると。
散るから美しい?
永遠に実らず、そして枯れない花。
それが『幻覚見えるくん』……。
それを知らないショートストーリー時制ドラルクは、『幻覚見えるくん』を眺める御真祖様を見て……何だかわかったようで全然わかっていなそうな適当を言ったのだった。
ドラルク:お花のお世話ですか? ホー、意外とノンビリしたご趣味もお持ちなんですな。
咲き誇る花は散るから美しい…とかいうアレで? ワビサビですなぁ。
━週刊少年チャンピオン2022年35号『巻頭カラー舞台裏ショートストーリー ~蕣なぜ来たる~』
確実に、「散るから美しい」とは考えてはいないだろう。御真祖様は。
だって『~蕣なぜ来たる~』のエピソードの中で、ヘルシングさんは『幻覚見えるくん』を「持ち運ぶことすら危険」と称していた。「あの植物吸血鬼は焼いてしまわんとな」と、その場で処分する判断をしていたのに……。
◆:オモシロかったから記念にとっておきたい
ヘル:ダメに決まってるだろ!!
━週刊少年チャンピオン2022年35号『巻頭カラー舞台裏ショートストーリー ~蕣なぜ来たる~』
御真祖様は、それが嫌でコッソリとっておいたのだ。花がなくなってしまうのが惜しかった。
「散るから美しい」なんて、とんでもない。
記念ならば、散ってしまっては困るはずだ。
散ったほうがいい。処分したほうが良い。ヘルシングさんの判断が正しいことだって、分かっていた筈だけれども。
君の言う通りだアルミニウス
私が何もしなくても
君は君のやり方で退治を完遂しただろう
━週刊少年チャンピオン2023年15号/吸血鬼すぐ死ぬ/320死
退治を手伝ったエピソードが本編で描かれた際(320死)にも…基本「自分が勝手にやったこと」で、本来必要なかったと考えていたくらいだ。アルミニウスは正しいのだ。彼が吸血花を「処分すべし」と判断したなら、「君の言う通りだ」と思っていたことだろう。
判断を否定したわけじゃない…。
どうしても欲しかっただけだ。「記念」が。
ヘルシングさんと御真祖様の友人関係は人間社会には秘密だった。直接的に堂々と思い出を残す事もできない。
吸血鬼の調査記録やロンドンの土産も記念といえば記念だろうが……それでは満たされぬ何かがあったのだと思う。
『満たされぬ何か』…300死のオスクルムもそうだった。
ずっとキッスに会えずに、満たされぬままだった……。
ワンナイト・キッス
先述した「実らず枯れない愛の花」が出てくる300死の歌詞をを改めて見ていこう。
♪ワンナイト・キッス
♪渚に涙の雨が降ったら
一夜だけ夢を見せてよ
♪その唇に焦がされて
純粋(ピュア)な心に焼きついた キスマーク
忘れられないよ 永久に
♪想いは実らなくても
♪愛の花は枯れない
♪後悔なんてないけれど
♪一夜だけ夢を見せてよ
♪接吻(ベーゼ)の夢を
━『吸血鬼すぐ死ぬ 24』300死
入りのフレーズをとって、この歌を「ワンナイト・キッス」と呼ぶことにするが。とにもかくにもこの歌は、「夢」を見たがっている。「一夜の夢」を。
背景のオスクルムたちがあまりに楽しそうなので、「愛の花は枯れない」が物凄くポジティブな言葉に見えるのだが、「愛の花は枯れない」から全部OK大丈夫なのか、というと、そうではなくて。
求めているのはあくまでも「一夜の夢」だ。
「愛の花」を『幻覚見えるくん』とすると……。植物にとって「種を実らせ同種を増やすため」に存在する筈の花が、枯れずに在り続けるというのは、途方もなく、孤独なことだとわかる。……いつまで経っても成就することも、消えることもない愛が、寂しがっている。
だから「一夜の夢」をどうか見せて……という内容なのだろう。
300死本編では、その「一夜の夢」がキッスからオスクルムへと与えられ、それで失恋を割り切ることが出来たのだった。
この本編の文脈から読むと「一夜の夢」とは、キッス本人とキッスの似姿たち……幸せに囲まれて楽しく過ごした時間にあたる。要は「思い出」だ。
枯れない愛を癒す為に、思い出が必要、と。
そういう着地点……なるほどね。
…しかしこれ、ちょっと不思議じゃないだろうか。
だって、「繰り返し思い返す過去の記憶」だったらオスクルムは既に持っていた。「出会いの記憶」だ。少々美化されてはいたが……。
オスクルムはその「美しい思い出」が忘れられなくて、苦しみ、キッスだらけ事件を起こしていた訳だ。
だが、キッスから与えられた「一夜の夢」の思い出は、オスクルムの気持ちを納得させ、暴走せずに済むように「解決」に導いた。
同じ「思い出」なのに、何が違うのだろう?
パロディ・キッス
と、ここで……。
ちょっとここで見ていただきたい別の「歌詞」がある。
サザンオールスターズの『涙のキッス』だ。
涙のキッス もう一度
誰よりも 愛してる
最後のキッス もう一度だけでも
君を胸に抱いて
━『涙のキッス』(作詞・作曲:桑田佳祐 /編曲:小林武史・サザンオールスターズ/1992年)から引用
『涙のキッス(サザン)』の歌詞には、299死『涙のキッスもう一度』と300死『誰よりも愛してる』のサブタイトルを繋げたそのままのフレーズが入っている。
この曲も300死同様、失恋がテーマだ。
「相手の心が離れていって恋が終わってしまう、けど自分は愛してるから最後にせめてもう一度だけ「キッス」がしたいよ~」という内容。
「愛が枯れないから一夜の夢を見せてよ~」の「ワンナイト・キッス」と概ね一緒である。
おそらくは元ネタ……「ワンナイト・キッス」はたぶん『涙のキッス』のパロディで、いわば「吸死世界verの『涙のキッス』」なんじゃないかと思う。
思えば、カラオケ回(126死)でも「勝手に☆死んだBAT(『勝手にシンドバッド』…?)」とか「愛と死の吸血鬼(『愛と死のロンド』?)」とかが出てきていた。
サザンオールスターズならぬ砂ザンオールスナァズとかいるのかもしれない。
で、このパロディ元の方。「最後のキッス」を欲しがっている『涙のキッス』の話を一旦しておきたいのだが……
なんというかこの歌、
もう本当に物凄く「別れ」を悲しんでいて、失恋しても「誰よりも愛してる」んだよ~!と消えない気持ちを歌う一方で、
なんで失恋したのか……実はさっぱりわからなかったりするのだ。
なぜに黙って心離れてしまう?
━『涙のキッス』(作詞・作曲:桑田佳祐 /編曲:小林武史・サザンオールスターズ/1992年)から引用
↑歌詞の2行目にしてコレである。
なぜ心が離れるのかわからないし、しかも「黙って」なので、もう相手は伝えることすら諦めている様子だ。
これからわかる可能性もゼロ。
真面でおこった時ほど素顔が愛しくて
互いにもっと解かり合えてたつもり
━『涙のキッス』(作詞・作曲:桑田佳祐 /編曲:小林武史・サザンオールスターズ/1992年)から引用
「もっと解かり合えてたつもり」……つまり今はわからない。わかっていた筈なのに、どんどん君のことがわからなくなっていく。だから理由も判然としない。何にもわからず、もうどうしようもない……。という。
そして君のことどころか、歌詞の視点では「自分がこれからどう生きていけばいいか」もわからない。
ふられたつもりで生きてゆくには
駄目になりそうなほど
悲しみが消えない
━『涙のキッス』(作詞・作曲:桑田佳祐 /編曲:小林武史・サザンオールスターズ/1992年)から引用
「ふられたつもりで生きてゆく」のは無理だよ、「駄目になりそう」だよ、とは言うものの、じゃあどうすればいいのかというと……。
ただ「涙のキッス もう一度」という願いしかない。
それでどうにかなるかも、ちょっとわからない。「もう一度だけでも……」と歌い続けて終わるからだ。
「最後のキッス」を願ってから一度も「キッスできていない」のか。もしくは、「涙のキッス」をしたのにまだまだ「最後のキッス」もう一度だけ!これで終わりだから!と願っているのか……。
どちらにしても気は済んでいないし、これから済むかも謎である。
つまりもう、何もかもわからない。君の気持ちも、これからどう生きるかも、「キッス」が自分を救うのかも。わからん、わからん、わからん3拍子の、わからんソングなのである。
「失恋で途方に暮れる、わからなくなってしまう苦しみ」が溢れた歌だ。
「誰よりも愛してる」という強い気持ちを、どうすりゃいいかわからない。もう何もわからん。だけど、「キッス」をしたがっている。
「ワンナイト・キッス」がそういう歌のパロディだと考えてみると……
確かに、今までオスクルムがキッスの似姿を作りまくって暴走していた理由も、根本を言えば「どうすればいいのか分からなかったから」だったなぁ、と腑に落ちる。
「自分の中には愛が燃え盛っているけれども、居場所もわからない、彼女の気持ちもわからない。この先見つかるかもわからない」。オスクルムはシンヨコに「彼女」が住んでいると聞いても、「馬鹿なことを!!」と信じなかった。この世にいるかどうかすら疑っていたのかもしれない。
わからない事だらけで、だけど愛は自分の中に生じ続けるので、「実らないままの想い」を持て余して訳もわからず街まで巻き込んでムチャクチャをやっていたのだ。
そして300死でキッスに再会して、振られて……一見「想いが実らない」のは何も変わらないのだが……オスクルムの気持ちは着地した。
<ロナルド>
……気は済んだか?
<オスクルム>
……ああ……
━『吸血鬼すぐ死ぬ 24』300死
そう、少なくとも「わからない苦しみ」はなくなったのだ。
キッスに振られた理由は「全くタイプでない」とハッキリしている。
あらゆるアプローチも徹底的に拒否され、「イケるんじゃないか」という希望を少しも抱けないフラレっぷりで……諦めるしか選択がなくなった。そこで迷うこともない。
何より、これからも消えそうのない「愛」をどうすればいいか、それがわかった。
<オスクルム>
ずっと貴方が好きでしたー!!!
これからも愛してますー!!!
<吸血鬼熱烈キッス>
それを糧にがんばれー
━『吸血鬼すぐ死ぬ 24』300死
キッスと結ばれようとするのは無理だが、そのエネルギーを自分の生きる糧にしろよ、という指針だ。
別に振られたからといって、「愛」を消す必要はないのだ。
そう相手も認めてくれた。
これからオスクルムは「愛してます」の気持ちが蘇る度、心の中のキッスに「それを糧にがんばれ」と返事を貰える。楽しかった「一夜の夢」と共に思い出し、「愛してていいんだ!」と思える。
湧き出し続ける「愛」が、「行き場」を手に入れた。途方に暮れなくなくなり……「キッスだらけ事件」の様な暴走をしないで済む様になったのだ。
これだ。違うのは。
行き場。結論。着地点。
「わからない」に答えが出て、しかもそれを「相手の意思」が肯定してくれる。
確信と肯定感。
一方的に心を奪われた……「勝手な思い出」と思っている限りは得られないもの。
それが「一夜の夢」にはあった。
御真祖様に必要なもの、『満たされない何か』も、たぶんきっと「これ」なのだ。
「勝手な思い出」
オスクルムは「キッスとの出会い」を忘れられず、街を巻き込む大暴走「キッスだらけ事件」を起こしていた。
御真祖様も『街を巻き込む大暴走』をしている。
「おヒマ?モード」だ。
遊べる人を探しに来たり、街全体で鬼ごっこしてみたり。
おそらく御真祖様は「アルミニウスと遊びたい」というどうしても湧いてしまう「想い」を「どうしたらいいのか」……それが、現在に至っても全然わからないのだ。
それで、何処に持っていけばいいのかわからん感情のまま、誰かと遊びたがっている。
人間の街に行ったとして、本人に会えるわけではない。本物には及ばない。そうとわかってはいても、「似ているもので寂しさをなぐさめようとする」。オスクルムに似た心理……。
確か、「おヒマ?モード」が初めて本編に出てきたのは150死だった。
『幻覚見えるくん』の初登場149死の直後の回だ。
149死では、ロナルドの「夏の思い出が欲しい!」という要望を聞き、ドラルクが「幻覚見えるくん」を持ち出してきたのだった。
お前のじじい何を思ってくれたんだ
━『吸血鬼すぐ死ぬ 13』149死
あの時のロナルドには、どうして「誰でも幻覚が見られるアイテム」なんてものを孫に贈ったのか、全く理解不能だったが。『~蕣なぜ来たる~』によれば御真祖様はとても鮮明に「友との記憶」を思い出していて、「記念品」の筈の花を孫に譲ってしまったようだ。
あれ程どうしてもという強引さで、手元に置いた物を。それを、おそらく孫が「人間の友人」と使うのをわかっていて……。
……きっと、「勝手にとっておいたもの」だったからだ。
「この気持ちをどうしたらいいか」という「答え」にならない ……。
◆:オモシロかったから記念にとっておきたい
ヘル:ダメに決まってるだろ!!
━週刊少年チャンピオン2022年35号『巻頭カラー舞台裏ショートストーリー ~蕣なぜ来たる~』
ヘルシングさんは……「記念にとっておく」ということに、「ダメに決まってるだろ!!」と否定的だった……。
暴走を抑え「解決」できたオスクルムは、キッスに「一夜の夢」を贈られた。「想い」を肯定して貰っていたのに。
ここが逆……分かれ道なのだと思う。
「キッスだらけ」を克服したのと、ずっと「おヒマ?モード」を生じ続けているのと……。
「記念」自体に否定的だったから、その「思い出」に……ヘルシングさんの「答え」が付いてこない。
隠していたから、それをどう思うかだって確認しようがない。
いや、まあ。
「記念に否定的」といってもヘルシングさんは……御真祖様に友情を感じてはいたのだし(320死)。それほど嫌がっていた訳でもなかっただろう、「思い出の品」というもの自体は。
「否定したい」なんて思っていたわけじゃない。
けれども、結局のところ今現在、「友の気持ちを感じる術」が御真祖様にはないのである……。
「ダメ」と言われてしまったから、あの時は。
きっといつもそうだった。
悪いのは時代だ。環境だ。
「記念」が嫌とか嫌じゃないとか、それ以前の問題で。ヘルシングさん側に「思い出を振り返れるものを残そう」という意識自体がなかった。
出会い自体が「密命」だったせいで、人間側の事情としては、むしろ痕跡を残してはいけないし……。
「今まさに均衡が崩れたら…」という緊張感のある時代で、自分がいなくなるほど先のことまで考えられないだろうし。
でも……もしも、ヘルシングさんが『~蕣なぜ来たる~』のエピソードで「じゃあ記念にとっておけ」と御真祖様に言っていたとしたら。
そんなこと、「人の安全を守る退治人」としてはあり得ない、とんでもないことだけれど、つい想像してしまう。もし、言ってもらえていたら。
少し、違ったのかもしれない。
たったそれだけで、『幻覚見えるくん』は御真祖様が勝手にとっておいた過去の品じゃなくて、「記念に貰ったもの」になった。
「想いを共有する記念品」になった。
「これ面白かったな」と懐かしんだ時に、「あの時はこうだったな」という友の声が、ありありと聞こえてくるような……。
ただの下等吸血鬼を「誰でも使える道具」にしたのも、そういうつもりだったのかもしれない。催眠の使えないヘルシングさんと共有したい気持ちがあって、幻覚能力を残す形で「無害化」した、とか。「危険すぎる」という指摘を解消したら若しくはと、採取した当時に道具化した、とか…。
319死で聖剣をプレゼントしたように、彼に使わせたかったなら。一緒に、遊びたかったなら。
そうだとしたら、切ないけれども……贈ることすら出来なかったろうな。
彼の意向に逆らってこっそりとっておいたものだから、見せられないし。見せても喜んではもらえなかっただろうし。
それに、無防備に吸血鬼の催眠で幻覚を見ているのを第三者に目撃されたらと考えると……あの時代では、洒落にもならない。致命的だ。
でも、それでも「記念にとっておく」だけでも、肯定して貰っていたら。
ああ、アルミニウスが「記念に」と言ってくれていたなって。
反芻することが、できただろうに。そうやって友の気持ちを感じることが、想いの行き場になっただろうに。
しかし、そうはならなかった。
どれだけ鮮明に幻を見ても、一方通行。あの時楽しかったな、と思っても。
思い出の中のヘルシングさんから、答えが返ってこない。
心を落ち着けてくれる思い出にはならない。
「勝手にとっておいたもの」だから……。
むしろ、「鮮明に見れてしまう思い出」が、「会いたい」という想いを増幅させ、暴れさせただろう。
ずっとずっと枯れない。
「愛の花は枯れない」。
永遠に実らず、そして枯れない花。
それが『幻覚見えるくん』……。
「散るから美しい」なんて、とんでもない。
散ったら困るのだ。散るのは惜しい。しかし散らないからこそ、苦しい……。
どうしたらいいかわからなくて、どうしようもないもの。
「実りもせず枯れもしない愛の花」をどこに持っていけばいいのか、ずっとわからなくて。
結局、2つとない過去の貴重な品が孫の手に渡ることになった訳である。
思い出の行き場
そんなこんなで149死のトンチキハワイが生じ。
150死「おヒマ?モード」シンヨコ来襲へと繋がっていった。
祖父を追って事務所に戻ってきたドラルクは、やはり何もわかっていない様子だったが……。
どういうわけか 今回は
シンヨコに遊びに行く
とか言い出してな
━『吸血鬼すぐ死ぬ 13』150死
このタイミングでスイッチが入ってしまったということは、149死の出来事と因果関係があるのだ。……伝わったのだと思う。『誰でも幻覚見えるくん』を使ったことが。
父と祖父と会ったついでに、近況として「トンチキハワイの災難」の大体全部をロナルドのせいにしながら報告とか……してそうだものな、いかにもドラルクは。
”みんなで上映会”という夏の思い出は作れた
━『吸血鬼すぐ死ぬ 13』149死
二人にとっては思い通りとはいかなかったが、それでも友人と「思い出」はつくることができた。『幻覚見えるくん』のお陰で。
祖父の思い出の品で、孫が思い出をつくっていたのだ。
からかって遊んで、見るものを共有して。その楽しそうな話に刺激されて、「おヒマ?モード」に……そういう辻褄なのだろう。
御真祖様があの花で友と遊んだのは、たった一度きりだった。それをただ、惜しむ気持ちひとつでとっておいた。面白かったから。
それからずっと枯らすことすらできなかった「愛の花」が、今になって役割を持っている。
それ自体は、喜ばしいことだろう。
行き場のわからなかった花が、あるべき場所を得たことは……。
でもそれで、御真祖様の「愛」が枯れるわけではない。「おヒマ?モード」を止められるわけではない。
この暴走を収められるとしたら、ヘルシングさん本人だけなのだと思う。
巻頭カラー舞台裏
『巻頭カラー舞台裏ショートストーリー ~蕣なぜ来たる~』は、その名の通り「巻頭カラー」と合わせて鑑賞することを想定した書き下ろしだ。
このカラーに関しては告知ツイートで確認できる。
【#吸血鬼すぐ死ぬ 表紙&巻頭カラー&特典盛沢山】明日発売「#週チャン」35号では付録ステッカー&箔押トランプ応募者全員サービス企画&巻頭カラー舞台裏ショートストーリー&豪華声優陣お祝いコメントが掲載!一部を紹介。※【注意】こちらの全サ企画は電子版では応募できません。紙版のみの応募です。 pic.twitter.com/8G5lNPOueY
— 「吸血鬼すぐ死ぬ」公式 (@johnwakawaii) 2022年7月27日
煽り文はこう。
時を超えてもそれぞれが
変わらぬ関係、変わらぬ状況。
今宵も彼らは
見果てぬ夢を見るか?
━週刊少年チャンピオン2022年35号
また「夢」だ。「見果てぬ夢」。
見果てぬ夢【みはてぬゆめ】
心残りなことや実現不可能なことのたとえ。
━https://dictionary.goo.ne.jp/
巻頭カラーでは
「ロナルドとドラルク」「ヘルシングさんと御真祖様」と同じ構図で二人組(+使い魔)が並べられている。
御真祖様の「見果てぬ夢」……心残りはヘルシングさんのことだろう。
どれだけ時が経とうと御真祖様はヘルシングさんに「遊ぼう」と誘いに行きたいし、退治についていって手伝ったり、ちょっと揶揄ったりしたりしたい。
まさに今、ドラルクがロナルドとやっているようなことをしたい。
ささやかな願いだ。でも、できない。
「おヒマ?モード」で人間の街に行ってもヘルシングさんはいないし、ロナルドはヘルシングさんではない。代わりにはならない。
同じではないからだ。
御真祖様はヘルシングさんと同居していなかった。
ヘルシングさんは周囲に全て隠していた。家族にさえも言えなかった。
出会いの顛末や日々の出来事を小説に書いて残すなんて考えられない。
吸血鬼の幻覚で気軽に遊ぶなんてとんでもなかったし、手伝うならまだしも、退治の邪魔をしようものなら洒落にもならなかっただろう。
彼らは、かつて御真祖様たちができなかったことを沢山している。
ドラルクはロナルドに「フレンズ」と呼びかけない。
聖剣を渡さない。
本気で殺されたことはない。
出会った二度目に「遊びに来た」とは言わなかった。
「おかえり」、と言った。
彼らは、かつて御真祖様たちがしてきたことを、同じようにしてきた訳じゃない。
同じじゃない。別人。別の関係。変わった時代。代わりにはならない。
代わりになる存在なんていない。
…そういうところが、同じなのだ。『何にも代え難いところ』が。
だから重ねて見ている。思い出す。そして暴走する……。
オスクルムにとってキッスに代わる存在はいなかった。
だから「見果てぬ夢」を見続けた。
キッスと結ばれなくても、その愛が消えることはない。
御真祖様にとってヘルシングさんに代わる存在はいない。
ヘルシングさんが亡くなっても、その愛が消えることはない。
だから「見果てぬ夢」を見続けている。
ドラルクにとっても、ロナルドの代わりになる存在などいないのだろう。
「散るからこそ美しい」なんてとんでもない。
散ったら困るのだ。
だって散ってしまったらそれで終わりで、代わりになるものなんて何処にもないのだから。
「とっておきたい」に決まっている。
失ったら惜しいに決まっている。
その想いひとつで時を超えてしまったのが、あの花なのだ。
燃やせば簡単に散る筈の、永遠に枯れない愛の花。
それが、『誰でも幻覚見えるくん』……。
今度ドラルクが「とっておきたい」と思った時、それを隠さず言えれば良い。
ロナルドがそれを、否定しなければ良い。
そうしたらきっと、『第二の幻覚見えるくん』は生まれない。
そう思ったが。
そういえば、ロナルドは言われずとも自分から、思い出をねだってドラルクに泣きつくような人間だった……。
そして、それをしても何の問題もない時代だった。
やっぱりヘルシングさんの場合とは環境も人も違っているんだなぁ……。
それならまあ、なんか。大丈夫そう。と思う。
しかし…思い返すに引っかかるのだが。
もしも『誰でも幻覚見えるくん』がショートストーリーのタイトルにあるように蕣(アサガオ)の吸血鬼なら、そもそも彼(?)が同種を増やす為には吸血鬼ではない普通のアサガオを噛んで吸血鬼化する方法もあったんじゃないだろうか?
明るい場所に適したアサガオが暗い森に自生しにくい関係上、実現しなかっただけ、とか。
まあ「無害化」した以上、今はもう不活な機能だろうけれども。
夢見たいな話、普通のアサガオの種が偶然にも『幻覚見えるくん』の森まで運ばれてきて芽生ていたなら、花を枯らさずとも、種は実らずとも、想いは実ったのかもしれない……。
彼(?)にはその力があった、「孤独」を終わらせることは不可能ではなかったのかもしれないな、なんて。
そうだとしたら、
御真祖様が寂しがっている裏で、ヘルシングさんがタマシングになっているのと……ちょっと似ている気がした。
おわり。